最期の日
2013年 05月 31日
5月28日 月曜日
両親が日中家を空けることになり、妹が実家へジェームスの様子を見に来ていました。
幼稚園のお迎えがあるので帰ろうとした時、珍しく寂しそうな顔をしていたそうです。
夕方仕事が終わった私に『ジェームスが寂しそうな顔していたから、会いに行ってあげて』と連絡がありました。
実家に帰ることを伝えるため父に電話をすると、ちょうど父も仕事が終わって帰宅したところでジェームスのおしっこをカテーテルで抜いている最中でした。
数分後父から電話があり、何か言い忘れたことでもあったのかな・・・と出てみると、
『ジェームスが死んでん!目開いたまま、泡ふいてんねん!』
(↑後々確認すると、泡ではなくよだれだったようです)
『すぐ来て!』
私は、頭が真っ白になりながらも
『人工呼吸して!心臓マッサージして!』
と自分ではできない無茶な要求をしていました。
後から聞いた話によると、
いつもはリビングの窓に背をむけて寝ているのですが、その日は窓の方に顔を向け父の帰りを待ちわびていたようです。
カテーテルで抜き終えたおしっこを捨てにトイレへ行き、戻ってきてからジェームスの体勢をかえようと抱きかかえた瞬間、頭がカクンと下に落ちよだれを垂らして目を開いたまま息をひきとったようです。
こういう場合どうしていいのか分からず、かかりつけの病院に電話をすると、
『何分で来れますか?厳しいかもしれないけど、来てください』
と言ってくれ、父にジェームスをすぐ病院に連れて行くようお願いしました。
私も病院へ駆けつけるため行き先を変更したものの、夕方の帰宅ラッシュに巻き込まれ車がなかなか進まず、病院へ到着した時には、待合室にジェームスの姿はありませんでした。
父がぽつんと立っていて、その表情をみた時もうダメだということは分かりました。
『心肺停止だって。今体をキレイにしてもらってんねん・・・』
『死因を調べますか?って聞かれたけど、断ったよ』
数分後、先生が白いバスタオルにくるまれたジェームスを抱きかかえて私達の元へ連れてきてくれました。
ここ最近では見たことのない、穏やかな優しい表情をしていました。
まだ温かくこんなに柔らかいのに、死んじゃったなんて・・・
病院内にもかかわらず溢れ出す涙を止めることができませんでした。
当時の状況をはっきり思い出せないのですが、先生がジェームスの頭を優しくなでてくれ、頑張ったねと声をかけてくれたことが嬉しかったのは覚えています。
死因は検査をしていないので、特定はできませんが、おそらく心臓にあった血栓が詰まって突然死したのではないかということでした。
ジェームスの癌は骨にまで転移していて肩甲骨の骨が溶けてスカスカになっていることがわかりました。
3月には後ろ足を骨折していることが判明しましたが、不幸中の幸いでヘルニアの後遺症で痛みを感じないためいつもどおり過ごすことができました。
後ろ足2本もむくんできて倍以上の大きさに腫れてしまいましたが、本人はさほど気にしていなかったようです。
骨の癌というのは、進行するととても強い痛みがあるようで、今の痛み止めが効かなくなったらモルヒネを使ったり、最悪の場合は安楽死も覚悟してと言われていましたが、そんな辛い決断を私達にさせないよう、旅立ってしまったのかな。
最期を家族全員で看取ってあげられなかったのは残念でしたが、父だけでも間にあってよかったです。苦しむ姿を見せずに旅立つなんて最高の飼い主孝行をしてくれました。
苦しまずに旅立てたこと、骨折したのが感覚がない後ろ足だったのは、頑張ってきたジェームスへの神様からのプレゼントだと信じています。
元気な時は手がつけられないほど、チンピラだったけど、病気になってからは見違えるほど良い子に生まれ変わりました。
大嫌いな病院も何十回も通ったし、今まで吐きだしていた薬もきちんと飲んで、手作りごはんに変えてからはしっかり食べてくれるようになりました。
嫌なことをされても噛みついたり、抵抗することなく、たくさん我慢してきたと思います。
ジェームスがいなくなってすごく寂しいけど、苦しみから解放され、これ以上辛い思いをしなくて済むのかと思うと、少しだけ肩の荷がおりました。
余命宣告を受けていたにもかかわらず、やり残したこと、後悔はたくさんあります。
一緒に写真を撮っておけばよかった。
いろんな種類の食べ物を食べさせてあげればよかった。
もっとたくさん実家に帰ればよかった。
もっと散歩に連れて行ってあげればよかった。
もっと、、、
数え上げればきりがありません。
ダメな飼い主でごめんね。
でも生まれ変わってもまた私のところに来てくれると嬉しいな。
両親が日中家を空けることになり、妹が実家へジェームスの様子を見に来ていました。
幼稚園のお迎えがあるので帰ろうとした時、珍しく寂しそうな顔をしていたそうです。
夕方仕事が終わった私に『ジェームスが寂しそうな顔していたから、会いに行ってあげて』と連絡がありました。
実家に帰ることを伝えるため父に電話をすると、ちょうど父も仕事が終わって帰宅したところでジェームスのおしっこをカテーテルで抜いている最中でした。
数分後父から電話があり、何か言い忘れたことでもあったのかな・・・と出てみると、
『ジェームスが死んでん!目開いたまま、泡ふいてんねん!』
(↑後々確認すると、泡ではなくよだれだったようです)
『すぐ来て!』
私は、頭が真っ白になりながらも
『人工呼吸して!心臓マッサージして!』
と自分ではできない無茶な要求をしていました。
後から聞いた話によると、
いつもはリビングの窓に背をむけて寝ているのですが、その日は窓の方に顔を向け父の帰りを待ちわびていたようです。
カテーテルで抜き終えたおしっこを捨てにトイレへ行き、戻ってきてからジェームスの体勢をかえようと抱きかかえた瞬間、頭がカクンと下に落ちよだれを垂らして目を開いたまま息をひきとったようです。
こういう場合どうしていいのか分からず、かかりつけの病院に電話をすると、
『何分で来れますか?厳しいかもしれないけど、来てください』
と言ってくれ、父にジェームスをすぐ病院に連れて行くようお願いしました。
私も病院へ駆けつけるため行き先を変更したものの、夕方の帰宅ラッシュに巻き込まれ車がなかなか進まず、病院へ到着した時には、待合室にジェームスの姿はありませんでした。
父がぽつんと立っていて、その表情をみた時もうダメだということは分かりました。
『心肺停止だって。今体をキレイにしてもらってんねん・・・』
『死因を調べますか?って聞かれたけど、断ったよ』
数分後、先生が白いバスタオルにくるまれたジェームスを抱きかかえて私達の元へ連れてきてくれました。
ここ最近では見たことのない、穏やかな優しい表情をしていました。
まだ温かくこんなに柔らかいのに、死んじゃったなんて・・・
病院内にもかかわらず溢れ出す涙を止めることができませんでした。
当時の状況をはっきり思い出せないのですが、先生がジェームスの頭を優しくなでてくれ、頑張ったねと声をかけてくれたことが嬉しかったのは覚えています。
死因は検査をしていないので、特定はできませんが、おそらく心臓にあった血栓が詰まって突然死したのではないかということでした。
ジェームスの癌は骨にまで転移していて肩甲骨の骨が溶けてスカスカになっていることがわかりました。
3月には後ろ足を骨折していることが判明しましたが、不幸中の幸いでヘルニアの後遺症で痛みを感じないためいつもどおり過ごすことができました。
後ろ足2本もむくんできて倍以上の大きさに腫れてしまいましたが、本人はさほど気にしていなかったようです。
骨の癌というのは、進行するととても強い痛みがあるようで、今の痛み止めが効かなくなったらモルヒネを使ったり、最悪の場合は安楽死も覚悟してと言われていましたが、そんな辛い決断を私達にさせないよう、旅立ってしまったのかな。
最期を家族全員で看取ってあげられなかったのは残念でしたが、父だけでも間にあってよかったです。苦しむ姿を見せずに旅立つなんて最高の飼い主孝行をしてくれました。
苦しまずに旅立てたこと、骨折したのが感覚がない後ろ足だったのは、頑張ってきたジェームスへの神様からのプレゼントだと信じています。
元気な時は手がつけられないほど、チンピラだったけど、病気になってからは見違えるほど良い子に生まれ変わりました。
大嫌いな病院も何十回も通ったし、今まで吐きだしていた薬もきちんと飲んで、手作りごはんに変えてからはしっかり食べてくれるようになりました。
嫌なことをされても噛みついたり、抵抗することなく、たくさん我慢してきたと思います。
ジェームスがいなくなってすごく寂しいけど、苦しみから解放され、これ以上辛い思いをしなくて済むのかと思うと、少しだけ肩の荷がおりました。
余命宣告を受けていたにもかかわらず、やり残したこと、後悔はたくさんあります。
一緒に写真を撮っておけばよかった。
いろんな種類の食べ物を食べさせてあげればよかった。
もっとたくさん実家に帰ればよかった。
もっと散歩に連れて行ってあげればよかった。
もっと、、、
数え上げればきりがありません。
ダメな飼い主でごめんね。
でも生まれ変わってもまた私のところに来てくれると嬉しいな。
by james_with_yuki
| 2013-05-31 17:08
| 癌の闘病記録